2022.10.11
自己紹介します1
はじめまして
結婚相談所代表『つながる』
代表の田口みほです。
このたび私は、公務員20年の経歴と自身が40歳で結婚相談所で夫と出会い結婚したという経験を活かして、結婚を望む方たちとしっかりと向き合い、1人でも多くの方々が幸せな結婚ができるようにサポートがしたい!
という想いを胸に宮崎県延岡市に結婚相談所を開業することにしました。
このブログは、結婚相談所開業までの道のり、私の婚活経験、宮崎県のこと、私の趣味のことなど、カウンセラーである私自身のことを知ってもらうために、様々なジャンルを思いつくままに書いていくそんなブログです。
最初のブログは自己紹介から。
私の経歴やなぜ40歳女子が短期間に結婚できたのかなどご紹介していきますね。
私の経歴
●出身地
福岡市出身の福岡市育ち。
両親も福岡出身のため、博多弁がしみつきすぎて抜けない。
東京の友達であろうとだれであっても、博多弁定番のとてもを「ばり」と言ったり、語尾に「ちゃんね~。」とか「と。」とかつけまくっている。
敬語になると武田鉄矢さんばりの「〇〇ばしよんしゃったもんね」くらいはスムーズに出せる博多弁の使い手。
●学歴
4年生大学の法学部卒業。
身近に弁護士がいたこともあり高校生の頃から法律に関係する仕事に就きたいと非常に立派な志を持って法学部に進学する。
実際は、法律が難しすぎてほとんど勉強せず、サークル活動が生活の中心となる。
黒歴史の高校時代から一転、いわゆる大学デビューをはたす。
ただただ遊んで過ごしただけの大学時代。
親に感謝感謝。
●職歴
難しすぎた法律も、受験のためならと必死に勉強し、裁判所職員採用試験に合格し裁判所事務官になる。
そして、裁判所に毎日通勤する自分に酔いしれる日々を過ごす。
「裁判官」「法廷」「被疑者」などテレビでしか聞いたことがない言葉が飛び交う職場にテンションが上がっていたが、学生気分が抜けない私は、本当によく上司に怒られ続けた。
心の中で悪態つきまくっていたが、今となっては、
「よくぞあんなに真剣に私をしかってくれた」
と感謝できるくらいの社会人にまで成長を遂げる。
その後、
裁判所書記官にアップグレード
し、法廷で黒い服を着て座っているというちょっとかっこいい仕事を始める。
途中、心の病気をして仕事を休んでしまい、自分の存在価値を否定したり、すべての自信を失ってしまうような経験もしたが、家族や職場の仲間、友人、病院の先生の助けもありゆっくりと自分を取り戻す。
年齢が40歳になったころ結婚について真剣に考え出し、結婚相談所に入会、無事に成婚にいたる。
その後、夫の転勤に伴い20年間務めた裁判所を退職する。
→裁判所でどんな仕事をしていたのかとか裁判官って実際どうなのよなどについては、また別の記事で紹介しますね。
●婚活スタートのきっかけ
ある日、鬼友達(鬼のように正論を私に投げかけてくる友達のこと)に、
「子供はいらんのか。いま遊んでいる場合か。優先すべきことをちゃんと考えろ」
とストレートすぎる言葉を投げかけられ、心臓を撃ち抜かれる。
当時40歳という年齢で、結婚願望はあったものの心のどこかでは結婚を諦めかけていたのだと思う。しっかり自分と向き合った上ででた結論は、「私は結婚もしたいし、子供も欲しい。後悔しないようにやるれるだけやろう」ということ。
即座に行動を開始し、結婚相談所に入会する。
婚活中は、うまくいかず試行錯誤したり、落ち込むこともあったが、縁あって夫と出会い成婚する。
長くなりましたが、以上が私のこれまでになります。
少しでも私のことが伝わると嬉しいです。
さて、次回の記事は、なぜ私が40歳にして短期間で成婚できたのか、
なんで公務員をやめて相談所開業したのかなどについて掘り下げていきたいと思います!
お楽しみに
〈つづく〉